職場の教養 感想「物に埋もれた生活」

おはようございます。@ukara91です。
7月13日(月)の職場の教養は「物に埋もれた生活」です。

物に埋もれた生活

 古来、日本では、壊れた物などは、修理しながら長期間使用していました。特に江戸時代では、様々な修繕屋が活躍していました。
 鍋や釜に開いた穴を修理する「鋳掛屋(いかけや)」、キセルの竹管(ちくかん)をすげかえる「羅宇屋(らおや)」などがありました。ほかにも雪駄(せった)直し、算盤(そろばん)直し、提灯(ちょうちん)の張替えなど、たくみな技を駆使する職人たちの仕事によって、人々の生活が支えられていたのです。
 翻って(ひるがえって)、現代に生きる私たちの生活はどうでしょうか。壊れた物を修理すうるよりも、新しい物を購入するほうが多いかもしれません。
 また物質的に恵まれた時代であり、物に埋もれた中で生活しているといえます。
会社や家の中で、何年も使用されていない物があるのではないでしょうか。所有物を役立てず、ただ無駄に仕舞い込んでおくことを「死蔵(しぞう)」といいます。
 修理できる物は修理して使い、使用していない物はリサイクルなどに回すことで死蔵が減り、環境問題にも一役買うことができます。
 限られた資源と肝に銘じ、物を大切に扱いたいものです。

一般社団法人倫理研究所 職場の教養7月13日(月)「物に埋もれた生活」より

<今日の心がけ>
物を大事に使いましょう

物に埋もれた生活 感想

江戸時代は、徒歩が主な交通手段。そうすると生活半径はとても小さくなります。小さな生活半径の中に、町が形成され必要なものが揃うようにお店がありました。

問屋さんや、食品の製造も町の単位で事業化されていたので、昔は地産地消があたりまえだったと思います。製造から消費までがそういったスモールシティーの中で行われていると、製造に従事していた人が、自分の会社で造った商品を修理できるわけですから、それを事業化したりしやすいですよね。
補修や修理は、自然に必要な事業として文化的に育まれていたのだと思います。

また、スモールシティーですので食品なども目に見える範囲内の町の人々の消費量分を、必要な時に作ればよいので、賞味期限を長くするなどの工夫は必要ありません。

現代は車社会。広い範囲で行動できるようになって便利になりましたが、スモールシティーは無くなってしまいました。町にそれぞれあった専門店は郊外の大型店となり、製造業も郊外の広大な土地で全国の分を一気に作るようになっています。
町の問屋さんもなくなり、物流も全国を網の目で結んだ大きな問屋となっています。

こういう流れになると、「補修や修理」というサービスは行ないづらく、新品をその都度買ったほうが楽。となります。

こうなると、「物」は使い捨てという感覚になっていきます。
使い捨て前提でものづくりが行われるようになったので、テレビ等壊れて、近所の電気屋さんに持ち込んだとしても、「中の部品も使い捨て感覚で強度が弱いから、新品を買ったほうが安いですよ」となります。

物が溢れているという状況は社会環境の変化によるものです。

でも確かに、家の中を覗いてみると、必要のないものがたくさんあります。
死蔵という言葉を聞くと、なんだか物に悪いような気がしてきます。

「不必要なものは衝動買いせず、必要なものは大切に使う。」当たり前のことですが、改めて肝に銘じましょう。

投稿者: ukara9

食品系会社の一見やる気のない社員です。若い頃から管理職になり「考え方の違う方」との人間関係づくりに悩み、自分に不足してるものを自費で研修や講習や読書でインプットしまくりました。主に職場の教養の感想をUPします。

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