おはようございます。@ukara91です。
2月9日(日)の職場の教養は「ノーサイド」です。
ノーサイド
Tさんは人と対立することが苦手で、会議の場では議論を避けてきました。
一般社団法人倫理研究所 職場の教養2月9日(日)「ノーサイド」より
そのようなTさんに、昨年の秋に日本で開催されたラグビーのワールドカップは、少なからず衝撃を与えました。それは「ノーサイド」という言葉です。
プレーの最中は激しい闘志を漲らせて戦った選手同士が、ゲームが終わると、すべてを忘れて互いに健闘を称え合います。その姿を見たTさんは、大きな感動を覚え、<今の自分に必要なのはこれだ>と膝を叩いたのです。
ある晩、帰りの電車でNさんと一緒になりました。Tさんは、声高にズバッと自分の意見に反論してくる、Nさんが苦手でした。その日の会議でも、NさんがTさんの意見に切り込んできたため、気が重い状態での車中となりました。
ところが、電車を先に降りたNさんは、ホームでTさんを見送ってくれたのです。その姿を見て、<まさにラグビーでいうノーサイドだ>と思ったのです。
ひとたび結論が出たら、<サッと気持ちを切り替えて対応する爽快さをTさんは、Nさんから深く教えられた思いでした。
<今日の心がけ>
サッと気持ちを切り替えましょう
ノーサイド 感想
人は異なった環境で育っているので、考え方が異なり意見が対立するのはあたりまえです。異なる生物と考えるぐらいでちょうどよいのかもしれません。
例えば自分が働いてる会社で、お昼休憩を2時間ぐらいとる社員がいたらどうしますか?「あいつばっかりさぼりやがって!」「はやくあいつをつれてこい!」と、なっていきますよね。でも、この社員がフランス人だとしたら、同じように考えるでしょうか?フランス周辺では、お昼を長くとる文化があります。その文化で育った人なんですから、「日本ではそんなに休憩取れないんですよ」と伝えたり、フランス人でも馴染めるように終業時間などの規約を変えたりと考えるようになると思います。
「違う文化で育ったんだから仕方ない」という認識のもと、その方にどうやって日本や自社の文化を理解してもらおうか?と考えますよね。
これが、同じ日本人だと「みんな同じ文化で育っているから同じ考え方であたりまえ」という間違った認識になってしまうのです。
皆そだった環境が異なるのですから、「みんな違ってみんないい」と、まずは相手を尊重することが必要です。
その上で、会社など意見を一つにまとめないといけない場面では、異なる意見どうしで話し合い、最適解を導き出しましょう。
その際に、自分の意見が通らないこともあるでしょう。でもそれを受け入れる事も大切です。
車に例えるとわかりやすいです。
車にはエンジンやブレーキ、ギアやタイヤなど、様々な部品で出来上がっています。さらに運転する人間や目的地が必要ですよね。
会社にも目的地があります。それを運転するのは社長を初め経営陣。もちろん社員も運転の一部を担うかもしれません。
でも普段の仕事は「エンジン部」「ブレーキ部」など役割分担が別れます。
同じ目的地へたどり着くための仲間ではありますが、推進する動力の事だけを効果的に考える「エンジン部」にとっては、自分の生み出した力をわざわざ制してくる「ブレーキ部」は嫌いな存在でしょう。
でも、目的地へいくために、この曲がり角を曲がらないと行けないという時には、ブレーキは必要なんです。
もちろん曲がり切った後には、エンジンに活躍してもらわなければなりません。
タイヤもギアも目的地へ行くためにはすべて必要です。
組織(車)の中で、自分がどんな役割なのか?など考えてみるのも異なる意見を受け入れるきっかけになるかもしれません。
異なる意見がどんどん出てくる組織の方が、健全な組織と言えます。
「みんな違ってみんないい」と意見の異なる相手を受け入れる自分になりましょう。